連載「新美声学」(うたのすすめ)059:絶叫声楽コンクール
洗足学園音楽大学名誉教授 松尾篤興
声楽コンクールが花盛りです.昔歌のコンクールと云えば毎日音楽コンクール(現日本音楽コンクール)くらいのものでしたが、今や日本だけでは収まりきれないのか、国際何やらコンクールなどと名称だけは立派だけれど、雨後の筍のように数多くの声楽コンクールが開催される様になりました。
世界三大国際コンクールと云えば、チャイコフスキー国際コンクール、エリザベート王妃国際コンクール、ショパン国際ピアノコンクールと云う事になります。
そもそもコンクールは若い音楽家達の登竜門としての存在意義があるものでしたが、近頃の声楽コンクールはプロを目指す音楽家に止まらず、アマチュアの声楽愛好家がコンクールを受けるようなご時世でもあるのです。
アマチュアでコンクールを受けるメリットは人それぞれでしょうが、例え優勝してもプロの歌手に転向できる様な声楽業界の受け皿は余り耳にした事はありません。確かに日本に於いてもマネージメントはありますが、海外のそれらと比べて規模や知名度は比べ物にならず、アマチュアがコンクールを受ける目的は個人的な満足に止まるのでしょう。
私は嘗て一度もコンクールを受けた経験はありません、と云うのも大学を出て二期会研究生を卒業して間もなく二期会のオペラに出演するようになりましたし、他のオペラ団体からのオファーもあり、所謂登竜門としてのコンクールを受ける必要が無かったからです。
最近の日本国内に於ける声楽コンクールの傾向や受賞者の演奏を聴いて感ずるのは、評価基準が音楽の演奏内容よりも如何に高く大きな声が出る規格に達しているかでしょう。
声楽コンクール受賞者の披露演奏会などを聴くと、押し並べて声は大きく、やたら高音域が出てくる曲を選ぶのがマニュアルかの如く、闇雲に大声で高音域を叫ぶのが目立ちます。幾ら悲しく悲壮感のある場面のオペラアリアでも最高音へくるとお構いなく大声で叫びまくる。果たしてこれが音楽と云えるでしょうか。その上受賞者は同じ様な傾向の歌手ばかりが入れ替わり立ち替わり、延々と授賞披露演奏会は続けられるのです。
ゴルフに例えればこれはゴルフトーナメントではなく、ドライビングコンテストでしかありません。日本の声楽コンクールがこうなってしまったのは、出場者の所為でしょうか、それとも審査員や教育の所為でしょうか。
世界三大国際コンクールと云えば、チャイコフスキー国際コンクール、エリザベート王妃国際コンクール、ショパン国際ピアノコンクールと云う事になります。
そもそもコンクールは若い音楽家達の登竜門としての存在意義があるものでしたが、近頃の声楽コンクールはプロを目指す音楽家に止まらず、アマチュアの声楽愛好家がコンクールを受けるようなご時世でもあるのです。
アマチュアでコンクールを受けるメリットは人それぞれでしょうが、例え優勝してもプロの歌手に転向できる様な声楽業界の受け皿は余り耳にした事はありません。確かに日本に於いてもマネージメントはありますが、海外のそれらと比べて規模や知名度は比べ物にならず、アマチュアがコンクールを受ける目的は個人的な満足に止まるのでしょう。
私は嘗て一度もコンクールを受けた経験はありません、と云うのも大学を出て二期会研究生を卒業して間もなく二期会のオペラに出演するようになりましたし、他のオペラ団体からのオファーもあり、所謂登竜門としてのコンクールを受ける必要が無かったからです。
最近の日本国内に於ける声楽コンクールの傾向や受賞者の演奏を聴いて感ずるのは、評価基準が音楽の演奏内容よりも如何に高く大きな声が出る規格に達しているかでしょう。
声楽コンクール受賞者の披露演奏会などを聴くと、押し並べて声は大きく、やたら高音域が出てくる曲を選ぶのがマニュアルかの如く、闇雲に大声で高音域を叫ぶのが目立ちます。幾ら悲しく悲壮感のある場面のオペラアリアでも最高音へくるとお構いなく大声で叫びまくる。果たしてこれが音楽と云えるでしょうか。その上受賞者は同じ様な傾向の歌手ばかりが入れ替わり立ち替わり、延々と授賞披露演奏会は続けられるのです。
ゴルフに例えればこれはゴルフトーナメントではなく、ドライビングコンテストでしかありません。日本の声楽コンクールがこうなってしまったのは、出場者の所為でしょうか、それとも審査員や教育の所為でしょうか。